二話
お兄ちゃんが家に来てから二週間が経った。
「見て!!お兄ちゃん!サヨナラホームランだよ!!」
TVで誇らしげにする中日の4番打者を私は指差した。
「負けたがな!贔屓が逆転サヨナラホームラン食らうだなんて最悪な気分や!しかも打たれたのが守護神とかどないなっとんのや!」
お兄ちゃんは自分の名前の由来になった井川慶のレプリカユニフォームを身に付け、完全に不機嫌になっていた。
お兄ちゃんも私と同じく野球が好きだ。
ただ贔屓を持たず、その日の気分によって推しの球団を変える私とは違いお兄ちゃんは阪神ファンのお父さんと大阪に長年住んでいただけあって、大の阪神ファンだ。
今日は中日ドラゴンズを応援する気分だった…。というより、兄の反応が面白いから家に兄が来てからは阪神戦しか見ていない。
お兄ちゃんをからかいたいから阪神の相手チームをいつも全力で応援している。
今日の阪神の相手は中日ドラゴンズだった。
お兄ちゃんは阪神ファンモードになると関西弁で話し始める。
今日は中日ドラゴンズにサヨナラ負けを喫したのでお兄ちゃんは端正な顔を歪めながら、関西弁で嘆いていた。
「お兄ちゃん、ドンマイ」
「はぁ~~~!?喧嘩売っとんのか?美乃はんじゃなかったら、道頓堀川にポイしてるところやで~」
物騒なことを言う兄を見てゲラゲラ笑っていた。
「もう…。お兄ちゃん、道頓堀川にポイだなんてカーネルじゃないんだから」
「…美乃はいつも俺と野球を見ると笑っているね。野球そんなに面白い?」
お兄ちゃんは阪神ファンの慶はんモードとはうって代わって標準語で愛しげに私を見ながら髪をすいていた。
「野球より阪神のことになると別人になるお兄ちゃんを見てるのが面白い感じ」
「…そっか。じゃあ阪神ファンの慶はんモードはこれからも続けていこうかな」
「演技だったの?」
「半分美乃を笑わせるための演技。半分本気。阪神大好きなのは本当だから」
クスッとは控えめに笑うお兄ちゃんにドキドキする。やっぱり私の兄にはもったいないくらい顔が整っている。クスッと控えめに笑うなんていう何気ない動作だけで俳優くらい輝いている。
「美乃もそんなに俺と野球を見るのが楽しいなら阪神戦でも見に行く?家が横浜だからハマスタと神宮と東京ドームに行けるよ」
「やだやだ。外なんて。しかも阪神戦はハードル高いよ!怖いし…人が怖いのに人がいっぱいいる所なんか行けるわけない」
私はブンブンと首を振って断る。
「…美乃がまだ辛いなら良いんだ。でもいずれは美乃が行けるようになるようにしないとね…いつまでも引きこもりじゃまずいから」
少し悲しげな顔のお兄ちゃんに胸が痛む。
「ごめんね。お兄ちゃん。だからそんな顔しないで」
「いや、気にしないで。いきなり人がいっぱいいるところに連れ出そうとした俺が悪い」
どうして…貴方はそんなに優しいの?
お兄ちゃんの優しさは甘美だ。
ああ。やっぱり私はお兄ちゃんに惹かれている。いけないのに。ただでさえ世間と断絶されているのに更に断絶されてしまう。
しかもお兄ちゃんまで巻き込む羽目になる。
近親…。実の兄妹に惹かれてしまうなんてあってはならないことだ。
私が兄が家に来てからずっと恋心にも似た想いを抱えていると知ったら兄はどう思うだろうか。きっと気持ち悪いと思って私を見捨てるに違いない。
きっと、10年以上会ってなかったから一時的におかしな捉え方をしているだけだ…。
私はそう考え直した。
「美乃、どうしたの。深刻な顔をして。そんなに野球観戦の話が嫌だった?」
「嫌なわけないよ!…何でもないから大丈夫」
「なら良いんだけど」
兄が心配そうな顔で見ている。これ以上心配をかけるわけにはいかなかった。
「美乃。話は変わるんだけどさ、明日俺と横浜駅周辺にデートに行かない?」
デート!?お兄ちゃんと!?
デートというお兄ちゃんのワードチョイスに面食らう。
「…といっても俺が車で美乃をいつも行ってる精神科まで連れてって、付き添いして、病院が終わったら横浜駅周辺の美味しい食べ物食べるだけだけど」
「…精神科は行かないと薬貰えなくて辛くなるからどっちにしろ行かないとまずいし…。良いよ」
「じゃあ決まりだね。明日が楽しみだよ」
お兄ちゃんがニコッと笑って私の頭をくしゃりと撫でた。
くしゃりと頭を撫でられた瞬間、甘い疼きがした。
…好きになっちゃいけないのに、私は兄が好きなんだという残酷な事実が浮かび上がった。
何でお兄ちゃんとまた会っちゃったのかな。
神様何考えてるの?
そう、ぐるぐる考えているうちに眠たくなってきて私は眠りの世界へと落ちていった。
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