ミーンミンミンミン…。蝉の声が聞こえる。夏は嫌いだ。
中学校に行けなくなったのも、家から出られなくなったのも夏だった。
私には何にもない。
性格も長年のぼっち生活や不登校で荒みきっているし、学歴も無い。
恋人もいない。友達もいない。…というか人が怖い。
会話する人はお母さんと精神科医のお医者様だけ。
何もない人。病気の人。それが私だ。
特技も才能もない。絵を描くことが好きだったけど、顔しか描けないし、中途半端な画力なのが恥ずかしくなってやめた。
ピッ。TVをつける。
TVでは中日ドラゴンズとヤクルトスワローズの試合がやっていた。
野球は数少ない私の趣味の一つである。
贔屓チームは無いが、時間がある引きこもり生活のたっぷりある時間を使って野球を見ている。
人が怖いけど野球選手は不思議と怖くなかった。私にとってアニメや漫画のキャラみたいな感覚で実在していると思えなかったからだろうか。
「おっ、野球見てるね~。面白い?」
低いけど落ち着く優しい声が後ろからする。
振り返ると、スラーと背が高いイケメンが立っていた。
目鼻立ちも整っていて、太眉の男前といった雰囲気のイケメンだ。
正直なところ、私のタイプだった。
しかし…。不法侵入ではないか?私は自宅警備員だ。職務を全うしないと。
「不法侵入ならお帰りください」
「不法侵入じゃないよ!俺は美乃の兄の慶だよ。忘れたの?」
慶…?確か阪神ファンの父が井川慶から名前を取ってつけた私のお兄ちゃんで離婚した時に、父と大阪についていった慶お兄ちゃん…?
「忘れてないよ!お兄ちゃん、帰ってきたの?どうして…」
「美乃が心配だったんだ。引きこもりなんでしょ?しかも精神疾患で病院に通ってるみたいだし」
「…ちょっと!誰から聞いたの?」
「母さんが俺に相談してきたんだ。だから大阪から横浜に帰ってきた」
お兄ちゃんは私をぎゅっと抱き締めた。
ドキドキする。胸の鼓動が早くなる。
自分の兄なのに、自分好みのイケメンになって帰ってきたからだろうか。
子供の頃から会っていなかった兄の思わぬ成長に私はドキドキしてばかりだった。
「お兄ちゃん…!?急に抱き締めないでよ」
「…ごめん。久しぶりに会ったから。母さんと父さんが離婚してから、それっきりだったでしょ」
「そうだね…。お兄ちゃんも変わったよね」
「そうだね」
はにかむお兄ちゃんに恋する乙女のようにドキドキしてしまう。
更に心臓の鼓動が早くなる。
いや、私とお兄ちゃんは実の兄妹なんだ。実は義理でしたとかそんなことはない、実の兄妹。それを忘れてはいけない。
「でも何でお母さんは疎遠だったお兄ちゃんに連絡をとったんだろうか」
「美乃がなかなか立ち直らなくて心配だったんだと思う。美乃もあまり母さんに心配かけちゃダメだよ」
諭すような優しい口調も心地が良かった。
…まつ毛長いな…。うわ、鼻筋も綺麗だ…。兄とは言え、好みのタイプのイケメンになって帰ってきた兄に見とれてしまう。
「美乃、俺の顔に何かついてる?」
「え!?ごめん。ついてないよ」
「なら良かった」
安心してる顔も絵になっていた。美男子というのは罪だ。
「あの、やっぱり年頃の妹にいきなり抱きつくのはちょっと気持ち悪いよ…。」
嘘。思ってもないことを言って私はお兄ちゃんを遠ざけた。
抱き締められたときに、胸板が分かってお兄ちゃんも男なんだなって思ったり端正な顔を近づけられて心臓の鼓動がバクバク早くなったから。お兄ちゃんを好きになってはただでさえ、世間と断絶されてるのに更に断絶される気がして…。
遠ざけた。それにこれ以上抱き締められているのは私の心が持たない。
「気持ち悪いか…。まぁいきなり抱き締められたらそうだよね。…俺の気持ちは変わらないけど、美乃が嫌がるならやめるよ。」
兄は、悲しそうな顔をして私から離れた。
兄の悲しそうな顔を見て心がつんとする。
「でも、俺ここに住むことにしたから。美乃のお世話をしてお前が社会復帰出来るようにするんで、よろしくね」
お兄ちゃんはそう言うと、エプロンを付けて厨房に消えていった。
お兄ちゃんのエプロン姿にも思わず可愛いと思ってキュンとしてしまったが、いやいや相手は好みのイケメンとはいえ兄なんだと思い直した。
こっそり厨房を覗き見る。
しなやかな男性にしては細い指を使って料理を作っていた。
伏し目がちな表情も綺麗で、端正な顔が真剣になっている姿も見とれてしまう。
「美乃、何見てるの?もしかして味見したいの?いいよ。おいで」
兄は一口サイズの唐揚げをひょいっと私の口に放り込んだ。
ナチュラルに「あーん」をする兄のタラシっぷりが憎らしい。
「…美味しいね」
「でしょ!?美乃が外に出たくなるように元気が出るもの作ってあげるからね」
兄はウキウキしながらまた厨房に消えていった。
10年以上会ってなかった兄が自分好みのイケメンになって帰ってきた。
それは私が兄にドキドキしながら暮らす日々の始まりだった。
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